パチスロ裏モノ

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 病気療養のため戦場を離れた男爵カール・ドゥ・ジャリス・フォン・ラ・ロッシ中将に代わり、Ba第1旅団を預かるBa第4「ヴィルヘルム親王」連隊長のバイヤー大佐は、旅団が全てモルターニュ渓谷を抜けたのを確認すると午後2時30分、旅団諸隊に対しブルヴリユールとドンフェンを拠点にブリュイエールへの総攻撃を命じます

 ブリュイエールのグランド・アヴィソン山 この命令により前進を開始したBa擲弾兵第2連隊は、ムーラン・ドゥ・ラ・バタイユ(風車場

現・ブリュイエールの北東2キロのヴェルヴゼル部落内

現存しません)付近で、ブリュイエール市街の北と東に聳える山に展開していた仏軍散兵から銃撃を浴びます

しかし同連隊の第2大隊が素早く両山に登攀して仏散兵を駆逐したため、Ba諸隊は市街地へ安全に接近出来るようになり、午後4時過ぎ、Ba第1旅団はブリュイエール市街へ突入、仏軍の抵抗はさほどでもなく、戦闘僅かで退却を始めたためBa軍は30分後に市内を制圧・占領しました

 その後、夜に入ってラヴァル(=シュル=ヴォローニュ)まで進んだBa軍斥侯隊は、短時間の戦闘を経て仏義勇兵の籠る部落内の公会堂に突入しますが、仏軍の増援が到着したため部落の占領は諦めブリュイエールまで引き返しています

 この11日の「ブリュイエールの戦闘」ではBa第1旅団の死傷者は40名、仏軍側の損害は不詳となります

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 ブリュイエールの教会

☆ ヴォージュ県都・エピナルの占領(10月12日)  ブリュイエールの戦闘後、11日夜間に放たれたBa竜騎兵第3連隊の斥侯たちはバルバ(モセル支流ヴォローニュ川の支流)河畔のフォコンピエール(ブリュイエールの南南西8.8キロ)とシャンドゥレ(同南南東8.7キロ)までに達して引き返し、翌12日早朝ブリュイエールに帰還して「敵はブリュイエール南方の陣地帯を放棄して撤退し、ルミルモン(モセル河畔

ブリュイエールの南南西23.5キロ)やジェラールメ(ヴォージュ山脈内の主要市

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同南東19.5キロ)方面へ向かっている」と報告しました

 仏カンブリエ将軍の軍勢がこれ以上独第14軍団と戦うことを避けたことは明白となり、フォン・ヴェルダー将軍はこの敵の追撃を止め、当初の大本営命令(9月30日付)に従ってモセル河畔のエピナルを経由してセーヌ川方面(トロア及びシャティヨン=シュル=セーヌ)へ進撃することを決し、最も北(軍団右翼のランベルヴィレ)にいた普混成兵団に対し更なる前進を命じ、普兵団を代理指揮するカール・フリードリヒ・ロベルト・ヴァーレルト大佐はこの日、麾下部隊をジルクール(=シュル=デュルビオン

ランベルヴィレの南11.4キロ)へ向けて進撃させてエピナル方面へ向かい、午後にはBa師団も右翼(西/エピナル方面)側へ転向し進み始めました

 このBa師団では第1旅団がブリュイエールから普軍が通過したジルクール、第3旅団はブリュイエール、第2旅団はデシモン(ブリュイエールの南西6.9キロ)をそれぞれ目標に進みます

 普軍の前衛、普第30連隊の第1大隊はジルクールからエピナルを臨むドゥヴィエ(エピナルの北東5.8キロ)を通過し、ここで初めてエピナル東郊の諸部落に仏軍の前哨部隊を認め、普軍大隊は街道(現・国道D420号線)南方の森林高地に沿って展開し銃撃を浴びせて来る仏義勇兵部隊と戦ってこれをエピナルへ退却させ、後方から追い付いた砲兵2個中隊による援護射撃を受けつつエピナル市街の北東側郊外にあった公園と墓地に進み出ました