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第24軍団と交代するためブラモンまで進んで来たドゥ・ヴゼー、ヴーゾン両大佐率いるブザンソン第7師団管区の臨時護国軍諸大隊は、第24軍団諸隊が陣地を放棄し慌てて撤退して行くのを目の当たりにし、これに続行して撤退するのでした

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ブラモン(20世紀初頭) 一方、ボーム=レ=ダムにあった第15軍団第3師団はこの23日、ドゥー川右岸のオートショー(ボーム=レ=ダムの北3.4キロ)南の高地尾根に歩兵9個中隊と砲2門を前哨として配置していましたが、午後遅く独軍が到着して激戦となります

これは既述のヴァラート大佐率いるポンメルン・フュージリア連隊主体の諸兵科混成支隊で、仏軍はドゥー河畔のレーグル高地まで退却しました

 仏軍にとっては栄光のクルミエの戦いで活躍しその後ププリー、オルレアンと戦った同師団長、ペタヴァン将軍は手遅れになる前に前衛を市街へ引き上げさせ、本隊は夜間一気にブザンソン目指して後退して行きました

ボーム市街に残った後衛2個大隊も翌24日早朝、貴重なドゥー橋梁を爆破して市街を放棄し師団の後を追います

 命令変更でボーム市街防衛のため急派されていたローヌ県護国軍の第3レギオン(第24軍団第1師団所属

この部隊は遅れて軍団に参加し、その後19日に前述通りブザンソンへ送られることとなり、親部隊から離れロモン山陣地帯の南西側で行軍準備をしていました)はこの日の昼前後、ボーム市街を望見する地点まで達しますが、既に市街には独軍が充満しているのを発見し、独軍に発見される前に後退して行ったのです

ボーム=レ=ダム これら一連の出来事により、1月23日の夜、仏東部軍はブザンソンより上流のドゥー河畔を完全に喪失してしまったのでした

 少し遡りこの日の朝

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 ブルバキ将軍はブザンソンの南西方を警戒するためカンジェーに向かった第15軍団第1師団に対し、「アルク=エ=スナン(カンジェーの南西11キロ

王立製塩所が有名です)を守備してル川に架かる鉄道橋を守れ」と命令しますが、この命令が届いた時には既に師団は潰走中(既述

独第13師団前衛による攻撃)で、この日昼前までにカンジェーも失いその北方アバン=デスのドゥー川鉄道橋も爆破されてしまうのです

 この師団は既述通り歩兵部隊の全てを鉄道輸送でカンジェーへ向かわせる予定でしたが、列車の不足と混乱で輸送出来たのは師団第1旅団(ミノ准将指揮)だけで、それも22日日中にカンジェー最寄りのビャン停車場に一部のみ到着し残りは夜になってようやく到着したのです

しかもこの時、旅団の諸隊は戦闘と長期の行軍、そして何より物資の不足で困窮し尽くしており戦意も心身も最悪の状態にありました

23日になりビャン(=シュル=ドゥー)に接近した一編成の列車は独軍から砲撃を受け(既述通り拿捕されます)、またカンジェーにも独軍が接近しますが、仏兵は士官たち必死の引き留めにも従う者は少なく、部落死守の命令も虚しく短時間で戦闘を放棄して勝手に退却を始めてしまうのでした

 これら将兵は潰走状態でビュジー(カンジェーの北東8.7キロ)に向かいますが、この時増援に向かった同師団砲兵や歩兵の士気をも奪ってしまい、増援を率いて反撃を指揮しようとした師団長ダステューグ将軍もカンジェー奪還を諦めてしまうのです

アルク=エ=スナン(王立製塩所) ドゥー川右(北)岸では、午後に入ってブルバキ将軍がボンネ師団を第18軍団の主陣地からドール方向(西)へ動かし、クレメー師団をその後方へ移動させ続行させました